「面倒だな、肉体があるというのも。」
「残念ながら肉体を持たない感覚を経験したことがないので。」
「経験してみるか。」
これはアニメ「夜桜四重奏」第5話に出てきた会話だ。
これを聞いてハッとした。
それは、生命は肉体の有無に関係がないのではないかということ。
考えてみれば、人間の形などの生命の姿は今ある姿でなければならないってことはない。
地球上の生物は、存在する環境の変化と戦いながら姿を形造ってきたと言える。
とすれば、生きているとか死んでいるとか、そのこと自体が重要ではないと思えた。
では、なぜ生きているのか。
それは、肉体を持たないとできないことがあるからではないだろうか。
それを個体に当てはめて考えれば、一つ一つに(一人一人の人間に)固有の使命(目的)があるからだと想えた。
だから、生きている生命状態は大切にしないとならない。
生きている姿も生命、死んでいる姿も生命。
そんなことではないか。
これはなんだか素晴らしい思いつきのような気がした。
自殺しようとして、危ないところを助けられた女子中学生がいた。
呼び止められて本当に良かった。
生から死へまたがろうとした瞬間、きみの生命は悲鳴をあげたのではないだろうか。
”まだ何もしていない。やり残したまま死んでは、死んだ姿になってまで苦しみを背負い続けてしまう”と。
壁は生きた姿で乗り越えないと、いつまでも苦しいままだ。
そう、生死を繰り返すだけでは、生命の傾向性の問題は解決しない。
だから自殺なんてだめだ。
こういうことを考えるのが好きな性格なんだろうな。
今回は、ヒントを得たように想えた。
生き抜いてください。頑張れ。>女子中学生
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