不祥事の責任の取り方って難しい。
一般の人は、感情的にニュースを聞くことが多いと思うけど、そればかりでもどうかなって感じる。
不祥事を責めるのはある面、簡単なことだ。
報道機関は、(特にメディア以外のことには)正義を盾にいかにもっていう報道の仕方をする。
そのことは間違ってしまった人間は、死んでお詫びしろって、時には聞こえてしまう。
それって違うと想う。
少し前の朝のニュースのキャスターが言っていたことが気になる。
「国は個人に代わって、加害者に復讐をする。」
その時の言い方に抜けていることがあるとすぐに想った。
「更生」って言う言葉がない。
被害者は加害者を憎むのは当然な感情だ。
かといって、感情に任せて罪刑を決めて言い訳はない。
人を殺した者は、すべて死刑だということにはならないはずだ。
間違ってしまった人間は、所属する社会から出て行けというだけの判断はどうなのだろう。
そんな意味を含めて、死ねばいいというような責め方は、僕は嫌いだ。
最近の日本は、「尖っている」と感じる。
和の国の日本には、特有の懐の深さがあったはずとも想う。
それは曖昧にしろというのではなく、人が更生する素晴らしい知恵の集合体だということだ。
殺伐とした社会を作るのは止めよう。
失うだけの社会を作るのは止めよう。
すべては、人の心の中から作られるのだから。
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