日本人にとって死ぬと言うことは、今でも美学なのかもしれない。
しかし、潔いと思われるそんな行動は、実は日本人の思想の欠点じゃないかと考えてしまうこともある。
失敗して責任を取るのに死ぬしかないなんて、そんな馬鹿なことがあるだろうか。
個人も企業も団体も、責任を取るのに、首をささげろなんていう人は多いけど、
僕からみれば、そんなのは悪魔の思想だと思う。
そんな観点からも死刑は嫌いだ。
世界の中世的発想は、命令に反したり、失敗したら、死ねという考え方があった。
それは取り返しのつかない究極であり、死ねば誰もがそれ以上の責任を追及できなくなる。
それによって何が満たされるというのだろう。
人の死の上にたって、もう過ちを犯すのはやめようなんて呼びかけること自体が、間違いだ。
現代社会にも過ちは多い。
それは絶対に消すことのできない現象だ。
しかし責任をとることを、死ねとか辞めろとかで解決できると考えるのなら、それは間違いだ。
「目には目を」的な発想は、人の生命の宿命を知らない程度の低い考え方だと、僕は想う。
人の生命はすべてを包含しているのではないだろうか。
性善説も性悪説も、一面しか評価しない偏った見方だといつも感じる。
日本は経済活動と生命活動という明らかに次元の異なることを混同してしまっているのではないか。
文化や経済は移ろいゆくものだ。
それに対して生命は、永遠なのだから。
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