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~In a heart harmony!~ 調和するって素敵(2011.8.8改題)

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2006-09-06-Wed 15:28:30 │EDIT


紀子さま 男のお子さまご出産だとのこと。
大変におめでとうございます。

皇位継承問題もあり、注目されたところだけど、
なんにしても、とても喜ばしいことだ。

その男のお子様が、すくすくとご成長されることをお祈りいたします。

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2006-08-17-Thu 17:49:49 │EDIT


小泉総理が8月15日に靖国神社に参拝した。
また主張してみようと思います。

一人の人間が哀悼の意を表すのがなぜいけないのか。
中国、韓国のいうことを聞けばいいということでない。
神社を特別に扱っているわけじゃない。
と、総理はいろいろと意見を述べている。
それに対しマスコミも政治家、政党も、しっかりとした反論ができていないと感じる。

僕は想う。
一人の人間が哀悼の意をどこで表現しても、それは自由だ。
しかし、なぜ、「内閣総理大臣」などと、記帳しなくてはならないのか。
それは、国の機関である内閣総理大臣の肩書き、地位を利用した行為であり、憲法第20条第3項に違反すると考える。
総理を辞めた後も小泉さんは参拝するだろう。しかし、その時は内閣総理大臣とは書くことはできない。
この肩書きは個人のものではなく、国民のまた行政の代表として、一時的に与えられているものではないのか。
記帳に国の機関名を書くことは、やめるべきだ。
国民全体の感情が絶対に一致していないとき、こんな行為はするべきではない。

戦争責任とは誰のことか。
それは、あの人とこの人と・・・と指名することも可能かもしれない。
しかし、重要なのは、戦争行為の精神的支柱としての国家神道があったことだと考える。
このことを反省しないで、中国や韓国の不安を取り除くことはできないのではないだろうか。
日本国民の中にも右傾化を危惧する人が大勢いる。
その感情は戦後のこの時期に、まだ国を代表する人たちが靖国神社に参拝している現実を見てのことだろう。
日本国民を戦禍に陥れた責任は神社にもある。
なのに、そこに行くことが、戦没者の供養になるなんておかしい。
死んで靖国で神になる・・・これは国民を誤った道に引きずりこむのに使われた言い方だ。

戦没者を供養し、平和を祈る人たちは日本中にいる。
いろんな宗教的施設、家庭の中などで真剣に祈っているだろう。
その中で日本国政府の総理大臣は戦争責任のある靖国神社に行く。
政府には、戦争が起き、その行為が継続してしまった反省がなさ過ぎると思う。
だいたい、総理大臣になる公約に靖国神社に参拝しますなんていうのがそもそもおかしいじゃないか。
行かないという公約は理解できる。それは戦争を反省した言葉だと思えるからだ。
しかし、逆に行くなどというのは、戦争を真に反省している態度とは思えない。
いったい、すべての日本国民のことを考えての発言だったのだろうか。

近頃の議論を聞いていると、えっと思うことがまたあった。
靖国神社が宗教法人であることをやめ、特殊法人だか独立行政法人にし、国が管理しようなどというものだ。
これこそ、国が宗教に関与しようということであり、まさに憲法20条第1項に違反する。
宗教法人でなければ、宗教ではないとの考えはバカバカし過ぎる。
本気で言っているとはとても思えないし、そうだとすれば危なくて排除する他はない。

民族の根底に根ざしたものを改めるのは難しいことだと思う。
特に日本は島国であり、他国からの干渉を受けることが少なかったために、
相互理解という刺激がまだまだ足りないように思える。
今朝のニュースで報じられた韓国大統領の言葉を正面から受け止めるべきだと思う。

平和は人間相互の関係を支配する崇高な理想であり、また
平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようとする(日本国憲法前文)、のなら
内閣総理大臣その他国家機関は、靖国神社に参拝しないほうがいい。

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2006-07-20-Thu 16:24:15 │EDIT


不祥事の責任の取り方って難しい。
一般の人は、感情的にニュースを聞くことが多いと思うけど、そればかりでもどうかなって感じる。

不祥事を責めるのはある面、簡単なことだ。
報道機関は、(特にメディア以外のことには)正義を盾にいかにもっていう報道の仕方をする。
そのことは間違ってしまった人間は、死んでお詫びしろって、時には聞こえてしまう。
それって違うと想う。

少し前の朝のニュースのキャスターが言っていたことが気になる。
「国は個人に代わって、加害者に復讐をする。」
その時の言い方に抜けていることがあるとすぐに想った。
「更生」って言う言葉がない。

被害者は加害者を憎むのは当然な感情だ。
かといって、感情に任せて罪刑を決めて言い訳はない。
人を殺した者は、すべて死刑だということにはならないはずだ。

間違ってしまった人間は、所属する社会から出て行けというだけの判断はどうなのだろう。
そんな意味を含めて、死ねばいいというような責め方は、僕は嫌いだ。

最近の日本は、「尖っている」と感じる。
和の国の日本には、特有の懐の深さがあったはずとも想う。
それは曖昧にしろというのではなく、人が更生する素晴らしい知恵の集合体だということだ。

殺伐とした社会を作るのは止めよう。
失うだけの社会を作るのは止めよう。
すべては、人の心の中から作られるのだから。

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